« 2005年07月 | メイン | 2005年11月 »
2005年09月08日
アンテナ
[ essey ]
ピンと張った感性のアンテナに響く瞬間がとても好きだ。
それは、例えば今まで見たことも無い美しいディスプレイを見つけた時であったり、
洒落た生活雑貨や調理道具に出会った時であったり。
周囲の人の一瞬のさりげない気配りに気づいた瞬間であったり。
ふと、こぼれてくる会話の中で見つけたお気に入りの言葉であったり。
汗ばむ駅の構内で出会った素敵な女性とすれ違いざまに
漂ってきた涼しげできりりとした香りであったり。
美しいもの、自分の知らない世界、
五感を刺激してくれるありとあらゆる分野に興味津々。
それにつられて、いろんなアイデアが次から次へと溢れ出し、
時間を忘れて意欲的に創作活動にのめり込んでいけたりする。
言うなれば、アンテナから伝わったプラスのエネルギーが体の中におさまりきれず、
外に向かって光を発し続けるような感覚。
けれど、そんな感性のアンテナに触れるのは良いことばかりではない。
喜怒哀楽。感性の振り子がプラスに大きく振れるというのは
マイナスの作用も強くなるということだ。
素敵なことを敏感に感じとれることが出来るかわりに
嫌なことにも敏感になってしまう。
そういう時には創作への情熱など微塵も感じられずに
ただ日々の生活に埋没するだけになる。
敢えて自分を奮い立たせて作業机に向かってみても、結果は燦々たるもの。
ただため息をついていたり。
そんな時にマイナスのエネルギーを溜め込んでいる人と
同じ時間を過ごしてしまうと大変なことになる。
ただでさえ、マイナスな自分であるというのに、
許容量以上に相手のマイナスエネルギーを取り込んでしまうからだ。
こちらがプラスでもないマイナスでもないニュートラルな状態であっても、
マイナスな気持ちに引きずり込む人というのも結構存在するものだ。
一見、明るくプラスのエネルギーに満ちているように見える人から
悪意のある言葉が流れ込んで来た瞬間
無防備にその悪意に曝されたことも一度や二度ではない。
プラスもマイナスも必要以上に感じ取ってしまうのも、感性なのだと思う。
幼少の頃から、周囲から考え過ぎ、深読みしすぎと指摘されることが多かったのは
今考えれば感受性のコントロールが難しかったからかもしれない。
年を重ねるごとに少しずつ相手との間合いを推し量ったりしながら
少しずつコントロールが出来るようにはなりつつあった。
そんな調子なので、よっぽどのことが無い限り
普段の生活の中では自分を閉じていた。
けれど、様々な創作活動をスタートしはじめてからは
閉じてばかりもいられずに
マイナスのエネルギーを取り込まないようにしながら
自分を解放していることが多くなった。
流れ込む悪意やマイナスのエネルギーは
いつも閉じていた頃より感じるけれど
プラスのエネルギーが満ちていく心地よさや
ピンと張った感性のアンテナに響く瞬間を
無防備に味わえることほど素敵なことはない。
〜ショック〜
[ essey ]
随分会っていなかった飲み友達にばったり会った。
その後のメールで、実は2ヶ月前に再婚したと知らされ、そうか、幸せになったんだ、素敵なこと…
とじんわり友達がハッピーになった嬉しさを噛み締めた。
その一方で、ほんの一瞬
何とも言いようの無い失望感もまた胸をきりきりとさせた。
もともと、いつも一緒にいたい、寄り集まっておしゃべりするのが大好き、グループ行動大好きといった
女同士のぺっとりした関わりあいが苦手な方である。その上、かなり人見知り。
どちらかというと、男性でも女性でも、さばさばした一匹狼が多かった。
今考えると学生時代からそんな風だったから
相手と仲良くなるまでには随分と時間がかかり、
その癖一旦心を開くと十年単位で友情が長続きする場合が多かった。
だから、今でも友達はわりあい少ない方だと思う。
ましてや、大人になり、結婚もしてから友達になれる人なんて早々いなかった。
そんな中で、同じ職場で知り合い、配置が変わってから仲良くなった貴重な男友達である。
彼とは、知り合ってからしばらくは何人かで飲んだり、外遊びをしたりしていたが、
人見知りの壁を少しずつ乗り越えたある時期、彼の方からよく「飲もうよ」と声を掛けられた。
「飲もう」と言ってもなんのことはない、職場から家までの間にあるお気に入りのお店で、
美味しいものをつまみながら延々と五時間から六時間ひたすら飲み、
語りあうだけで、閉店間際にじゃあまたねとさらりと別れるさっぱりした飲み方だった。
飲み始めは職場の話、そして、学生時代のこと、好きな音楽の話など、
同学年だっただけに共通の話題もあり、時には愚痴もこぼしながら、他愛無い話をし、
二人ともかなりの酔っぱらいになる頃には現在の自分の内面の話になるのが常だった。
今考えてみれば、たった二人であんなに長い時間よくしゃべることがあったと思う。
一緒に飲みはじめた頃は、なんだかんだ言って週に一回は飲んでいた。
少ない時でも月に一回は飲んでいたのだから結構なペース。
メンバーにもよるが、これがグループだと、真面目な話をしていても流れが中断してしまって
じっくり話しが出来なかったり、いつの間にか話題が全く別の方向に向いてしまってがっかり…
ということも少なくないだろう。二人だからこそ、相手の話も自分の話もじっくりたっぷり出来たのだと思う。
幸いなことにお気に入りのお店は十人も入れば満席の小さなお店だったから、お客の少ない時は本当に静かで、
相手の話にもゆったりと耳を傾けることが出来た。
そのうち、不思議な親近感と安心して話すことが出来る柔らかな空気感が心地よくなってきた頃、
私自身、趣味件お小遣い稼ぎの作品の創作が忙しくなりはじめた。
彼の方からも連休明けにでもまた飲もうねとメールをよこしてから
ぷっつりとメールが来なかった。
気がつくと、メールのやり取りの間隔も随分あいてしまっていた。
どうしているかな、などとお店の前を通る際にちらりと思い出したりするものの、
メールもないのは幸せに過ごしているから
きっと私のことなど忘れているんだろうくらいにぼんやり思っていた。
それは、彼に近い友達から、「彼女が出来たって。知らなかったの?」と
聞かされてからも変わらなかった。
ただ、ほんの一瞬、本人から直接聞きたいなと心の端っこに
チクッと小さな棘に似た痛みを感じたような気がしただけだった。
友達から聞いたからといって、本人に「ねえねえ、聞いたよ。彼女出来たんだって?」と聞くのも
なんだか無神経で無粋な気がして
本人の口から直接聞くまでこちらからは一切口にすまいと思っていた。
彼とその教えてくれた友人との関係にもよるが、本人が言っていないものを
第三者から「聞いたよ、どうなの?」と言われるのは、あまり気分のいいものではないだろうし
言いたければ本人から言うものだろうから。
大切な友達だからそんな無神経なことはしたくなかった。
結局、その後数ヶ月がたっても彼からは「彼女出来たんだ」という話は聞かなかった。
ほんの時折、廊下ですれ違うこともあったけれど
お互いに「元気そうね」「おう」で終わってしまっていた。
また飲もうねと約束してからどれくらい時間がたってしまったか
自分の中でもとっくに分からなくなって、
あの時に感じた小さな棘に似た痛みの事もすっかり忘れ去っていた。
それが、つい今しがた届いた短いメールを読み終え
胸がきりきりとした瞬間に思い出したのだった。
どうしてそんな大切なこと教えてくれなかったのだろう?
少しばかり距離をおいていても変わらない友情みたいなものを感じていたのに?
数少ない大切な友達だと思っていたのに?
所詮そんなものだったかという思いがしばらく頭の中を渦巻いた後、
そう思っていたのは自分だけだった事に気づき
深い喪失感とともに自分の中の何かがグラリと崩れたのだった。
勿論、彼とは会えば声をかけあう程度の関係でいるだろう。
けれど、残念なことに以前感じたような柔らかな空気感は
もう取り戻せない。