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2005年12月26日

ようこそ先生!

[ art ]

NHKの番組を時々見る。
その日の先生は萩焼の重鎮 陶芸家「十二代目 三輪休雪」氏。


萩焼きの里に生まれながらも、前衛的作品を作り続けている。
己の中にある感情を表現する術として萩焼きという自己表現方法を手に入れて
自己の中に渦巻くものを吐き出すことで、心と体のバランスが取れているように思えた。

気持ちが激しくグラグラ揺さぶられたのは、氏が自分自身の心の叫びを形にした30代の作品。
普段は、傷付けられるのを防ぐ為に、たいてい感性と感情の扉を閉ざしてる。
けど、その時はたまたま作品の映像を見る数時間前から感性の扉を開放し
無防備な状態だったからか、不意に流れ込んできた映像に激しく動揺し
涙が流れ、口を思わず両手で塞がなければならないくらいだった。
あまりの衝撃に映像が消えてもなお、しばらくは涙が止まらなかった。

柔和な笑顔と柔らかい語り口とは裏腹に、人間国宝、萩焼きの重鎮を父、祖父にもつ十二代三輪氏は
その重圧、苦悩を作品に投影し、傷つき喘ぐ自分自身の心を絞り出したしたようでもあった。

きっかけを与えたいと授業前に言っていた。
子供を教えることは初めてだという氏が、訪れたのは6年生の教室。
氏は子供たちに自己とは何かと問い、それを粘土で表現することを課題として与えた。
幼稚園時代などに遊んだ、ただの粘土細工ではなく、自分というものを表現する。
その課題は、大人の取り組むものとしても難しい課題に思えた。
と、どうしていいやらとてもうず高く教室に積まれた粘土の塊を前に、戸惑う子供たち。

くやしいことがあったら殴ったっていい、優しい気持ちになったなら、撫でてもいい
こんな機会は二度とないのだから、思う存分触れればいいと言われた子供たちは
その言葉を聞いた途端、嬉々として粘土をたたいたりつねったり、塊を無造作にまるめたり。

ひとしきり触れた後に必要分量を取って作品を作り出すけれど、陶芸の土であるということが
頭にこびりついていてなぜだか茶器や茶碗など、器をつくることに執着してしまう。

そんな、子供たちが変わったのは器に囚われる姿をみた氏が自作を見せる為に
学校から自宅へ連れ出した時。
作品に出会った子供たちは、一瞬絶句し、恐怖心、感嘆、興味を示した。 
成長途中の心に強烈な自己表現のオブジェはどのように響いたんだろう。
画面を通して目にした静物でありながら、感情が一瞬にして自分自身に流れ込み
映像が流れている間中、揺さぶられ続けたのだ。
実際に目にした時の衝撃はどんなものだっただろう。
それから、課題に取り組む目が変わった。
感受性の研ぎ澄まされた時期にこんな表現方法に出会えたら
とても素敵で刺激的なことに違いない。

「軟らかい海 十二代三輪休雪エッセイ集」という本も出版されている。
機会があったら見てみたい。

投稿者 ジェイ : 2005年12月26日 00:44

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